知って得する建物の豆知識 畳 直交させて敷くのが吉

縄文人や弥生人は、狩ってきた獣の毛皮や葦や菅で編んだ敷物を、土の上に敷いて生活していました。獣の皮や植物の敷物は、当初は一重でしたが次第に重ねて(畳ねて)敷くようになり、これが畳の語源とされます。畳んで容易に移動や収納ができることから「たたみ」と呼ばれるようになったという説もありますが、これは漢字の畳は「かさなる」「厚い」という意味で、移動性や収納性を示していないことから、根拠は弱いかもしれません。
畳が現在のような藁の芯に藺草(いぐさ)の表を張った構造になったのは平安時代以降とされます。10世紀中頃の「和名抄」で藺草について「細堅宣為席」とあるので、この頃には藺草が表に使われていたと想像できます。
畳のサイズは地方によって異なりますが縦横比はどこでも長辺2、短辺1という比率です。この比率については諸説ありますが、畳はそもそも正方形の座具(座布団)でしたが、横になるため二枚並べて、寝具として使用した所から、1対2の比率が生まれたとする説が有力です。寝具としての畳が現在のように敷き詰めになったのは、14世紀末頃からとされます。これは絵図「慕帰絵詞」に敷き詰め畳が描かれていることからの推察です。
畳の縁(へり)については座る人の身分を表すものとされ、「繧欄(うんげん)縁」は五色の色地に雲の模様が描かれたもので、天皇や法皇の座に用いられ「大紋高麗」は大きな家紋が連続する柄で、親王や大臣が使うものとされました。殿上人(でんじょうびと=天皇のお世話をする役職)は無地の紫色、侍は無地の黄色という決まりがありました。
一畳でも3割の差
畳のサイズは関東から南に行くほど大きくなります。最も小さいのが「団地間」と呼ばれる、かつての住宅公団が公称の畳数を稼ぐために作り出したサイズで170センチ×85センチ、次が「江戸間」の176センチ×88センチで、これは関東以北~北海道まで広く使われています。「中京間」は中部圏で多く使われサイズは182センチ×91センチ、そして最も大きいのが「京間」です。これは、関西から九州まで使われ191センチ×95.5センチで、団地間と京間の面積比は3割近い差があります。
さて、畳の敷き方には、吉凶があります。通常「祝儀敷き(吉)」「不祝儀敷き(凶)」と言われますが、原則は隣接する畳を平行に敷くことが凶、直交させるのが吉とされ、畳の接続部に「十字」を作ると凶、「T字」にすると吉です。畳数が多い場合には祝儀敷きでも「十字」が発生しますが、極力発生しないように敷くのが原則です。現在、不祝儀敷きは寺院のみで使われています。また、4.5畳の場合、半畳を中心に置いて卍型(左回り)に畳を敷くのは「切腹の間」と呼ばれる最凶の敷き方です。これが逆卍型(右回り)になると茶室の敷き方になるから不思議です。
床の間のある部屋では、畳の長辺を床の間に接するように敷きます。こうしないと上座である床の間の前に直交して畳の縁があり、お客様が畳の縁に座る、いわゆる「床刺し」となるため、これを避けるのです。
フランス語に「タタミゼ」という言葉があります。畳に由来した言葉で「日本文化好きの人」のことを指しています。今から50年くらい前は現在の「オタク」「アニメ」「セーラームーン」のように、「クロサワ」「オズ」と共に盛んにフランスで使われた言葉です。
(建築家・中村義平二)