この地上において今 住まいが未来を語り始めた ◇ 住宅評論家 本多信博 コロナもいずれ収束する そのとき問われることは

いつかコロナが収束しても、コロナが気付かせてくれたことを忘れてはならない。 それは第一に、人間は住まいと地域を基盤に生活していること。第二に、家族が互いの心を思いやる場が住まいであること。第三に、互いの心を思いやるためにも、ワークライフバランスを取って心を豊かに保つことが重要だということ。
第一の点は在宅勤務によって在宅時間が増え、地域にもいや応なく目を向ける〝会社人間〟が増えたからだ。第二の点は少々意味深で、家族はなんのために一つ屋根の下に暮らしているのかという問題を現代社会はあまりにも放置し過ぎてきたということ。第三の点は、人間は肉体的にも精神的にもバランスを取ってこそ、「人としての道」を歩むことができるという哲学論でもある。
意識変革に注目
コロナが収束し、コロナウイルスに対する脅威がいつか薄れたとしても、日本人の意識は完全には元に戻らない。それは東日本大震災以降徐々に強くなっている意識で、ひと言でいえば「予期しないことがいつでも起こる時代になった」という意識、この怖れとも諦めとも言い難い漠とした不安を見誤ると、住宅・不動産業界は大きな痛手を被ることになるのではないか。
住宅・不動産業界はこれまでのところコロナ対応としては、在宅勤務のためのスペースや個室の研究、防音性能の向上、ウイルスや細菌が室内に入り込まない空調設備の開発などを進めているが、対症療法的な感じは否めない。
コロナが社会にもたらした変革のうち、最も重要な点はそうした目に見えるライフスタイルの変化ではなく、目に見えない意識の変化である。在宅時間が増え、住まいのあり方に関心が集まるということは、「そもそも住まいはなんのためにあるのか」という目的意識が目覚めたということである。住宅・不動産業界はこの意識の変化にこそこだわるべきである。
コロナから学ぶべきことはまだある。それは経済成長のためなら過度の人口集中をも容認する過去の古い価値観との決別である。「東京一極集中」が持続可能な政策でないことは明らかだろう。
合理性、利便性、機能性、画一的価値観が生み出す物質的豊かさには限界がある。そうではなく、人間の五感や感性を大切にして、合理性や利便性とのバランスを保つことこそ持続可能な社会が求めている政策である。
人間回帰の視点
この社会の未来を科学や技術の発達という視点だけから描くのではなく、人間はどこに行こうとしているのかという〝人間回帰〟の視点からも未来像を描くべきではないか。人間性復活のビジョンを描かなければ、人間がロボットに使われる社会が本当にやってくる予感がする。
既に今でも人間の仕事の多くがマニュアル化している。オフィスでのデスクワークも、コーヒーショップや居酒屋の店員もマニュアルに従った仕事しかしていない。マニュアルではない仕事を見つけるほうが難しいだろう。
思えば、現代人は人類の未来をどう想像しているのだろうか。人類はこれからも戦争や紛争を繰り返すのだろうか。そうだとしても「最後は戦いに疲れるときがくる。そのとき、人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主となる国を求めることになるだろう」と言ったのは、かのアルベルト・アインシュタインである。
彼は1922(大正11)年に来日し、熱狂的歓迎を受けながら日本国内を43日間にもわたって旅をした。そして日本を去るに当たって語ったのが先の言葉である。彼はこう続けたという。「我々は神に感謝する。我々に(世界の盟主に挙げることができる)日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」。想像するに彼の目には当時の日本人が心豊かな民に見えたのではないだろうか。
新型コロナウイルスによるパンデミックが起こり、世界中の人たちが新しい生き方や価値観を模索している今、日本人はどこに豊かな心と新しい価値観を見いだそうとしているのだろうか。